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工事中に営業担当者

たとえば、開放性という特性について、母国の住まいと比較しながら以下のように述べている
日本の家屋には、わたしたちがみなれているドアも窓もない。屋根裏部屋も、地下室も、煙突もしたがってあの炉囲いも、完全に閉ざされるヘヤも、ベッドやテーブルや、イスや、それに似た家具も、すべてない。……わが国の住居と、日本の住居とのあいだの主要な相違点は、間仕切りと外壁とにみられる。わたしたちの住居にみる間仕切りや壁は、堅牢で永久的なものである。……日本の住居では固定した間仕切りはほとんどない……(上田篤他共訳『日本のすまい内と外』鹿島出版会一九七九年)モースは、冷静にわが国の住まいを観察している。



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そこには、わが国の住まいがアメリカの住まいと比べて劣っているといった一方的な見方は微塵も見られず、むしろ、開放的で豊かな住まいの様子を見事に描きながら、近代化に伴い日本独特の伝統性の消え去ることに警告さえ発していたのである。
みじんこうした開放的な間取りは、一見するとその使い方ものびのびと自由奔放のように見えてくるが、そにはきちんとした間取りを構成する原理があった。
すなわち、中·下級武士の住まいにおける家族の生活の場と接客の場の取り合いを見ていくと、中下級武士の住まいの接客の場である座敷は、古くは屋敷の入り口が東西南北のどの方位であっても表側となる屋敷の入り口側である道路側に面して配置されていたのに対して、江戸時代後期になると座敷を南側に配置した南面重視型の間取りを持つ住まいが増える傾向が見られるという(浅野伸子『江戸時代後期の中·下級武士住宅における構成原理の変容過程に関する研究』私家版)。

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住まいのよさも再評価される浅野の指摘によれば、江戸時代後期以降、中·下級武士の住まいの間取りでは、その住まいがどのような形状であっても、接客の場は必ず南側に配されるという原理が具現していたのである。そして、こうした南面を重視した間取りの伝統が、明治以降の近代化の中でもひとつの原理として脈々と息づいていたのである
表生活をスムーズにさせるには明治期の住まいとして、一八九0明治1111年竣工というネコの家とも称されるわが国を代する近代の文豪である夏目漱石の住まいを見てみよう(図61)。

に、現在、犬山の明治村に移築されている、かつて東京に建てられていた漱石の住まいの間取りは、一八九0年代のわが国の都市に建つ典型的な独立住宅形式の貸家の様子を示している。
南面重視という間取りの原理を前提に、この住まいの部屋の配置を見てみよう。
東に玄関がある。ここには土間があり、式台のある11畳の玄関の間がある。
省エネする手法もあ

ご近所さんの家の前南側には主人の書斎があり、北側には台所がある。ちなみに、この書斎が、漱石が名声を得ることになる『吾輩ハ猫デアル』を書いた部屋である。玄関の間の正面には二間続きの部屋があり、手前が中の間と呼ばれる次の間、奥が床の間のある座敷。この中の間、座敷の南側には縁側があり、その先には庭が広がる。襖で仕切られた座敷の北側には茶の間がある。この茶の間は採光面が北にあり、夏はいいが冬は寒い部屋となる。この茶の間と台所の間には使用人の部屋である下女の部屋が置かれているそして、座敷の更に西奥には主人の寝室と子どもたちが寝る六畳の間が並んでいるこの間取りを、今度は、家族が生活の場と接客の場とに分けて見ていくと、南側に並ぶのは書斎·中の間·座敷それに寝室で、主に主人ならびに客が使用する部屋であり、これに対して北側に並ぶのは台所·下女の部屋·茶の間·六畳の間で、家族ならびに使用人の生活の場となる。

家族それぞれが気を付けるのが一番

このことから、南側と北側とがきわめて明確に区分され、<南側のゾーン1接客の場·主人の場/北側のゾーン1家族の家庭生活の場>という方位によるゾーニングの存在が指摘できる。この南のゾーンと北のゾーンという方位による独自の領域の存在は、江戸期の中·下級武士の住まいの特徴を受け継いだもので、戦前期の住まいにおいても大なり小なり共通して存在する間取りの構成原理であった。
より具体的にいえば、戦前期の住まいは、<南側がハレ、北側がケ>という独自のヒエラルキーに即して各部屋が配されていたのである。漱石の住んでいた家もそうだが、より大きな邸宅では、これにさらに奥のゾーンと表のゾーンというもうひとつの軸が加えられ、<南側がハレ、北側がケ>、<表がハレ、奥がケ>という二つの軸をもとに各部屋が配されていた(図62)。
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一人暮らしの食生活

部屋が明るくなるこうした独自のヒエラルキーを持つ住まいこそ、伝統的な住まいであり、客間中心の住まいであったのだ。当然ながら、こうした住まいには家族以外に使用人も一緒に住んでおり、生活をスムーズに行なうためにこうしたヒエラルキーが必要とされていた。
一九二0年代に主張される家族本位の証としての居間中心の間取りとは、言い換えれば、<南側のハレ>の場に家族の生活の場を設けることであり、この伝統的な独自のヒエラルキーとは異なる住まいの出現を意味していたのだ。

経済緊縮時代、不景気時代の間取り改めて家族本位の住まいを見てみよう。既に紹介したように一九二0年代に家族の場である居間を中心とした間取りが出現した(図63)。それは、江戸期以来の接客本位を完全に否定したものではなく、家族の居間を中心に据えつつも、接客の場も備えた間取りであった。

住宅に駐車場の外観が適用されていた